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『ばかもの』
絲山秋子『ばかもの』を読んだ。
 
最近、ちっとばかし絲山秋子、中島らもにハマってまして、
らも氏は出版数多すぎてなかなか追いつかない、
絲山女史もらも氏ほどではないにしても、やはりなかなか追いつかないまま、
ほかにも図書館で借りてきたり、僕の中で坂口安吾と小沼丹の再燃もありつつ、
『ばかもの』なる長編が映画化されるというのを中吊り広告で知り
公開される前にさっさと読んでしまおう。
と、思うに至ったわけですが、この前口上はいりましたか?
 
映画は、主演が成宮寛貴くんと内田有紀さん、監督が金子修介さん
…と、ちょっと予想つかない面子(金子監督の作品、ジャンル的にあまり観たことない…。特撮が嫌いというわけじゃないんだけど……って、こんな注釈を入れてしまうって点で、ちょっと偏見があることは否めない)。
ストーリーは、ある年上の女との恋愛にのめりこんだ19歳の大学生ヒデが、
一方的に女(額子)の結婚をきっかけに振られてしまう(しかも、その際にはズボンを下げて木に縛り付けられて放置される!)、それでも順調に大学を留年して順調に地元で就職して順調に恋人を作るんだけど、果たしてアルコール依存症になってしまう。という
これ、僕自身がストーリーをぜんぜん知らない状態でシンプル且つセクシャルな恋愛小説であろうと思いながら読み始めたので、つまりあまり展開知らない方が楽しめるかもしれないわけで、どこまで書いていいかわからないんだけど(いつもなら結末まで書いちゃう)、一応ここらへんで止めておきます。
以下、ネタバレに注意を。以上も、か。
 
結論を先に言うと、超傑作です。
僕の中で、21世紀最高の日本文学が今まで阿部和重さんの『ニッポニアニッポン』だったんだけど、
それを越える文学に出会ったと言えるくらい。
つまり、今のところ21世紀最高たる日本文学たるのが、この『ばかもの』です。
いや、そもそも僕の読んでる小説自体大して多くないんだけど。
偏ってるし。
でも、何でそこまでいいのかわからない。
はっきりいって、分量的には物足りない気がしなくもない。
もっと、もっともっと長編でこの物語を紡いでもよかったんじゃないか、って思う。
淡々と物語は進んでいくし、それはリズム感溢れる文体と言えるんだけど、
なんかもう少し人物に突っ込んでいってもいいんじゃないか、と思ったり。
展開は唐突、びっくりするくらいに唐突で、急に友人が宗教にハマったり、
数年の時を経たらかつての恋人が隻腕になってしまったり。
けど、実は人生って唐突に転がってるんじゃないか、とふと気づいたりして。
唐突だよ、世界は。
世界に、そんな丁寧な伏線は張られてないよ。
2年経って、急に友人がわけわかんないアイドルのファンになってる、とかあるよ。
変な例だけど。
というか、その唐突さが、さっき言ったように淡々とした流れの中で突然現れるから、
逆にぎょっとして続きがきになってしまう、というような気もする。
そして、それら紡がれるものはすべてにおいて濃厚。
時系列的には、主人公が19歳のころから29歳のころまで進むから、10年ほど。
で、ページ数は約200ページ(文庫版)。
けど、濃い。
大河的な印象さえある。
どこがいいのかはわからないんですよ。
冒頭の章は、ほぼすべてセックスシーン。
この時点ではただ官能性のある純な恋愛小説かな、と思って、普段の絲山文学に比べるとテンション低かった。
まあ、思ったのは、この時点で成宮くんと内田有紀のキャスティングは違くないか? ってことくらい。この時点では、です。最終的にはちょっと気になりつつも、悪くないという気になりましたが。
2章目で、ヒデがフラれる。ここもまだ二人の世界を抜けずに閉じたままで、僕はその先も二人の中だけでストーリーが展開されていると予感していた。
3章で、大学を辞めて東京に引越した友人ネユキが宗教にハマってしまう。そのネユキのパーソナリティを受け入れられなかったヒデは、ネユキに拒絶される。ここで世界が開かれる。
そこからは読み終えるまであっという間だった。
ここで、あらすじに沿ってつらつらと僕の感想を書き連ねてもいいけど、なんかめんどくさいし辞める。
 
結局何なんだろうなあ。
舞台は、群馬県高崎市で、僕は群馬出身で、群馬弁は心地よくて、それは関係ないだろうけどなア。あるかな…ないよな。
けど、何より、「袋小路」感だと思う。
絲山秋子さんの、これも素晴らしい小品『袋小路の男』という短編小説があって、
あらすじ的には、ある住宅街の袋小路に住む男に恋をする女の話なんだけど、
まあ、でも絲山秋子さんの小説の人物っていつもみんな”袋小路にいる”って印象だよなア、と思ったりする。
で、『ばかもの』でも、幾度となく「行き場のない思い」という言葉が、それもご丁寧に強調点を傍らに押されて登場するんです。
まさに「袋小路」。
高崎も群馬じゃ1番の都会だけど、
言ってもやっぱり田舎ですから、田舎って袋小路っていう感じは、思う。
あ、僕は高崎市民じゃないけど。
なんだろう、うまく言葉にできんな。
主人公がアル中になって、恋人はずっといてくれるんだけど、会社も辞めてしまって、
家族にも出て行け、って言われて、結局恋人も最後は離れてしまって、
最後にすがろうとした宗教と友人も手を差し伸べてはくれなくて。
絶望、という言葉しか浮かばないような瞬間がある。
絶望、っていうのは袋小路で、でもそこに至って初めて、今まで拒絶していたいわゆるアルコール依存症患者専用の病院に入院することを真剣に考え始めるんです。
僕は、比較的親切な読者なんで、その時点で作者の狙い通りに「なんでもっと早く病院に行かなかった!」って憤慨しちゃうんですけど。まあ、それはどうでもよくて。
袋小路ってのは、もう道はひとつしかないわけだから、
もうそこに進むしかないわけで。
なんかそういうところから掬い上げるのが絲山さんの真骨頂だな、と思った。
あれ、わかんなくなった。
なんか、考えながら書いてます。
 
確かに恋愛小説なんだけど、やっぱり「僕ら」の話なんだな、って思った。
こういうとき、「僕たち」とか「僕ら」とか「あの頃」とか、そういう言い方をするのは本当は嫌いなんだけど。
けど、間違いなく、今ここにいる自分が明日迷い込むかもしれない行き場のない袋小路、まさしくそこにいる男の10年の戦いの小説だった。
ただ、彼には、一言、呆れ声で上から「ばかもの」と言ってくれる人がいたんだ、っていう。
単純だけど、そういうことを考えた。
そこに尽きるか? いいや、そこに尽きるわけじゃない。
なんだろう、もっといろいろなものがたくさん詰まってる。
けど、この小説には足らないものが多すぎて、読んでいる自分にも足らないものが多すぎて、
けど、足りないけど、たくさんがここにはあったし、自分にもたくさんがあるんだと思えた。
たとえば、僕は最近、起きているときと寝ているときの境が少なくなってる。
夢だと思っていたことが現実だったり、現実だと思っていたことが本当は夢の中で見たことだったり。
別に寝ぼけてる、とかそういうことじゃなくて。
記憶の中で、現実感を持っていたはずのことが現実じゃなくて、またその逆も然りで、実際に起こっていたとは感じていなかったことが実は現実に起きていたことだったり。
そういうのって、なんだろう、昔はなくて、夢は夢のはずで、現実感のある夢ってあんまり見なかったし、
本当に、本当はそういうの、小説とか映画とかそういう中でしか起こりえないことだと思ってた。
というか、書いてる今も、あまりにも自分の言い草が文学的になろうとして気に入らない。
けど、事実。
『ばかもの』ってそういう感じだったんだ。
そういう感じ、っていうのは、現実感があるようで、夢想感漂う、けど現実感を持って人間が生きている感じ。
まあ、”想像上の人物”とか出てきて主人公をそっと助けたりして、そこらへんはまんまそういう感じなんだけど。
 
まあ、そんな感じです。
相変わらずまとまらんな。
というか、何だろう、久々に言葉で感想を言うのが難しい小説だった。
というか、まあ、傑作だったんだけど。
「なんか、この場面、いい」とか、「なんか、この展開、心持ってかれる」とか、
そういうのが連発した小説だったんです。
まあ、また読み返します。
 
映画化に関しては、いまやもう悔しい気持ちだけです。
僕なんぞが制作しても、金子さんの足元にも及びませんけど、
けど、こういうの撮るの…うらやましい。
ともあれ、映画、楽しみ。映画館で観れるといいなア
by yanofilm | 2010-11-28 05:02 | (゜レ゜)
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