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ことことかのこと
エンコード待ち
自室で編集できる、って素晴らしい
そして、そんなにいいもんじゃない
ひゃっほーーーーーーーーーー
 
最近インターネットで見かけた言質の中でよかったもの三傑
・「役不足」を誤用でなく使われると、むしろわけわからん
・インターネットはごはんログになった
・いまmixiは逆にサブカル
誤用、というのは難しいもので、僕も知らず知らずのうち間違えて使っている言葉もたくさんあるに違いない
最近では「させていただく」の語法では誤用が散見される、という話を聞いて調べてはみたけれど、いまだにどれが正用でどれが誤用に当たるかいまいち把握できていない
ただ、現在では正用とされる語法にも本来誤用だったものがところどころ含まれているわけで、言葉は水物であるから、すべからく指摘するべきであるという風には思わない
ちなみにこの「すべからく~するべき」も誤用が多い言葉の一つらしい
(今回は正しく使えているはずだけれど)普段あまり使わないからどうでもいい
あるブログには
・「自分に出来なくなったこと、不可能なことに気がつかないと、人間は果てることなく、怠惰になっていく」。
とあって、これはまたなるほど、と思った。
至言。
これは限りなく肉体的な現象からは遠くて、もっと精神にかかずらった言葉だと思う
とは、僕がその前に「僕は、雨に打たれるようにして、映画を見たい。それが出来ないのは自分の習慣のせいであって、映画のせいではない。」と書かれていることを知っているからそう言うのだけれど。
つまり、どこまで自分の性質について自覚的であるか、ということだった
自覚するということが大体の物事において重要だと思う
人生において最も重要なのは、準備と決断と諦観なんじゃないかと僕は日ごろ考えているけれども、自覚することはそれに準ずるほど重要であるに違いない
ちなみに、僕は重要なこれらのことがなにひとつできない
 
 
この前、このこの前というのはもう2週間ほど前のことだけれど、僕は夕刻の日比谷公園にいた。
日比谷公園でブランコを漕いだら楽しかった
すると電話があって、20分ほど話していたら隣にカップルがやってきた
きゃっきゃうふふ、だった
もうあたりは夜に包まれていて、僕もじゅうぶんにブランコを堪能したので、もうその場を離れてもよかった
でも、これはまずかった
ここでブランコを降りたら、なんだか僕がいたたまれない感じでケツまくったと思われるんじゃないか
twitterに「ブランコで遊んでたら隣に寂しいチキン野郎がいたなう」とかつぶやかれるかもしれない
これはまずい、と思ったので、僕は電話を切ってからもブランコを漕ぎ続けた。ひたすら、ぶおおんとブランコを漕いだ。ブランコはギャーコギャーコと叫んだ。僕は、ぶおおおおんぶおおおおおおおんと漕いだ
耳元ではピーズのハルが歌っていた
隣ではきゃっきゃうふふが続いた
超楽しかった
超ちょー楽しかった
負け惜しみじゃない、これは負け惜しみじゃなく楽しかった。ブランコちょー楽しい
やがてカップルは遊び疲れて、公園を出て行った
勝った
僕は「勝った」と思った
そして、巨大な敗北感に襲われた
何をやっていたんだ
試合に勝って勝負に負けた、とはまさにこのことだった
でも超楽しかった。
そして、高揚を切なさと寂しさにかき消され、闇に包まれた霞ヶ関へと足を向けるのだった
国会議事堂の前をふらふらと歩いていたら、見張りの警官にたしなめられた
 
 
ずっと探していた人がいて、ふいにその人と行き会った。見つけた
見つけたけれど、手を伸ばすことはできなかったので、気持ちが悪い
どうしたらいいかわからないので、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、である
である、とかそういうのも変だ
これには困っている
その人との関係は、ちゃんと終われなかったのだけれど、最近やはり思うところがあって、無性に会いたかった
けど、ちゃんと終われなかったせいで、別の形での始め方がわからない
だいたい僕はいつも終われない
一方的な遮断とか、地震とか、妙な気遣いとかで、うまく終われない
しかも、僕自身が、ちゃんと区切りとして「終わり」を用意されたくないところがある
これは、本当に困ったものだと思う
生きると、いつも「始まり」と「終わり」があって、たとえば、映画には「開映」と「終映」があって、演劇にも「開場」から「開演」と「終演」があって、電車にも「始発」と「終電」が、これはいたるところにある
それは、生きるというこの大きな流れの中では、本当に些細のようで、ときどき「わざわざこんなものはいらないんじゃないか」などと思ったりもするけれど、必要なのかもしれない
「終わりは次への始まり」という人もあるけれど、僕はこの言い方を支持しない
支持しないのは、全部の終わりや始まりがきっちり1本の線のようにつながるとは思えないせいである
だから、終わりとか始まりとか、物事はパラレルワールドみたいな感じで、枝分かれしたり平行して同時に進んでいたり……
あ、もういいです
終わりは始まりかもしれませんね
 
 
『KOTOKO』を観た
塚本晋也さんが監督
よかった
大げさかと言われるかもしれないけれど、今年この映画よりも素晴らしい映画がこれから公開されるならその映画は本当にすごいな、と思うくらいによかった
最初、これは"母"の映画であって、自分に寄る映画ではないんだろうと思っていた
僕にはそういうところがある
僕は割と映画を楽しむ性質で、その楽しみ方の最たるものがどれだけ「自分のための映画」になり得るか、ということだった
そうでない、となると、どうしても冷めて観てしまうところがあって、それ自体が好き嫌い/面白い面白くないの判断基準にはならないのだけれど、自分から距離をおいて観てしまう
これは客観性を強める、ということでもあるので、本当はそのほうがいいのかもしれない
でも、自分の近くにある映画は、往々にして愛せた
『KOTOKO』に関して、映画が進めば進むほど、映画からこちらの方へ近寄ってきた
何より、この映画は多くが詰まっていた
母と子の映画であることには違いなく、或いは男と女の映画でもあった
そして、喜劇でも悲劇でもあったし、寓話でありアクションでありエンターテイメントだった
自分にとっては、呼吸の映画で重喜劇だった
生きることは、本来滑稽であって、滑稽でよかった
滑稽であることを恐れるから、それは余計に滑稽であるのに滑稽になりきれない
公開したらもう1回観にいく。たぶん
 
 
しばしば「周りの人間のことをみんな馬鹿だと思ってるんだろう」と言われて、これに困る
そう言ってくる人のことは馬鹿にするけれど、割と自分にそういう部分はない
ときどき、誤解があってはいけない、と思うのでこれからそれを解こうと思うけれど
だいたい誰もここを読んでないだろうから、意味あるのかな、とは思う
調べてみたら、このblog「おっぱい」で検索してたどり着く人が多い。以前「おっぱいの話」というタイトルで記事書いたから
でも、こう考えているという宣誓は必要なので、書く
僕は、恒常的に「働きたくない」だの「がんばらない」だの「ヒモになりたい」だの言っているけれど、これはあくまで僕がこう思うのであって、他の人にも同じように考えてもらいたいとは思っていない
だいたい、みんながみんな「がんばらなくていいんだよー。自分のペースでいいんだよー」なんて一様に言っている社会なんて、そんなの気持ち悪い
僕はがんばりたくないけれど、がんばりたい人はがんばればいいと思うんだ
そういうのを押し付ける人も、周りにいたらそっとその近くを離れたいと思うけど、それは僕が僕の意志でそのようにするので、押し付ける人は押し付けるようにして生きていけばいい(もちろん、立場的に離れようにも離れられない人もいるんだろうけれど)
押し付けようという人は、押し付けることで自我を保つみたいな部分もあったりするから、それを辞させるようなことをするというのは、僕の主義に反する
死ぬまで働き続ける人とか、そんな社会はだめだ、と僕も思うけれど、自分は過労死してもいいんだと思う人がいるならその人は死ぬまで働き続ければいい
なんか、だから、最近は割と気持ち悪い
右へ倣えが進んでる
でも、これはやっぱり、それぞれの人たちがそれぞれに自分の意志と考えを持ちなさい、とかそんな風に思わなくて、別に、流されるように生きていたい人は流されていいと思う
そうじゃなくて、僕が思うのは、その流れが大きく流れすぎている、ということ
流れが大きくなりすぎると、この流れこそが本流だ、と、かくあるべきだ、と言う人が現れる
これは怖いな、と思う
実を言うと、僕も案外と流されやすい気質ではあるので、気をつけるようにしているけれど、それだけに余計に怖い
マインドコントロールだなんだ、と声高に言うけれど、閉店間際に『蛍の光』が流れてきて「あ、帰らなきゃ」と思うのも、結構マインドをコントロールされている
さて、誤解を解こうとしてさらに誤解されるのもつらいので、わざわざ書くけど、仮に非常に近しい人間が極端に自分とは異なる、こちらから見れば誤った方へ向いていた場合はどうするか、ということについて
そうなったらさすがに苦言を呈して、僕の主張を伝える
けれども、また困ったことに、僕は僕の考えることが必ずしも、と言うよりもだいたい正しいとは思っていない
というか、だいたい間違っている
だから、誰かを自分の考えにオルグするようなことができようはずもないのである
オルグ、ってちょっと使い方ちがうかも
 
 
エンコード終わりそう
嘘ついた。わりと
30分くらい前に終わっていた
 
そういえば、前回のblogのようなことは書くべきでなかった、と反省している
あと、僕の人生は前回から特段ターニングしなかった
それから、最近blog書くの楽しい。だいたい自分で何書いてるかわからないし、2~3日後に後悔するけど
ヒモにはなりたい。がんばってなりたい。がんばる
# by yanofilm | 2012-03-31 04:05 | (゜レ゜)
(゜レ゜)

昨晩電話で
「うち知ってるだろ。荷物持ってきてください」
と素っ頓狂な言い様を受けて、ただ、もうその頃合からではどんなに急いでも面会時間を過ぎてしまうため、今日アルバイトの前に行ってきた。
「鍵開いてるから」と言われてアパートのドアノブに手をかけたのだけれど、
見事に鍵が掛かっていたので部屋に入れなかった。
アルバイトの後には預かった鍵を使って荷物を回収できたので、病院へはまた明日行く。
知人が倒れて昨日から入院することになったらしい。
一人暮らしだと、こういうとき困ったものだな、と思う。
 
しかしそれはここで書いてもどうしようもないので、わりとよくて、
病院に行く道々都電から舎人ライナーへと乗り継いで楽しかった。
都電では、外国人観光客と乗り合わせた。
その隣に座った媼が「どこへ行くの」と訊ねて、それに夫婦と思しき外国人はおそらく「どこ」という日本語くらいは解したのだろう「Russia」(英語だけど…)と答えていた。
媼はまたそれを聞き取れず、当て推量で「しゃこ? 荒川車庫?」と言うけど、ほどなく電車は荒川車庫を通り過ぎるのである
ロシア夫婦があらためて「Russia……Moscow」と返したところで会話はうやむやになった。
そのあとも媼とロシア人夫妻はまったく噛み合わない会話を続けるものだが、その光景はまたよかった
こういうのは特によくて、いやらしい感じがないので好きだった
僕は歩くのが好きで、歩くのは疲れるから歩きたくないときも多いけれど、散歩が好きで
最近は麻布をよく歩く
麻布はいやらしい感じばかりするからよくない感じがする
ただ、街としてはとても作りがよくて、それからいまだによく迷うので好きだ
おしなべて僕は高級住宅地が好きで、最近はよく白金だの青山だの高級住宅地を歩くので
それはにわかに自分が泥棒にでもなったような気さえする
泥棒稼業に憧れがないわけではないのだけれど、スキルを持ち合わせていないのと逮捕されることに対する憧れを抱けないので僕は泥棒にはならない
 
今日、これは3月24日についてのことだけれど、
今日はもしかしたら重要な転換の日だったのかもしれないと考えているので、あるいは来るべきときのためにこれを記す
明確な理由はありません
たとえば、今日の予想気温は18度に上るとされていたけれど、実際に最高気温は11度だった
たとえば、僕は今日、見ず知らずの人の落としたものを拾って本人に手渡すという機会に4度遭遇した
たとえば、今日ガッキーを見かけた
たとえば、「開いているから」と言われていた鍵が実際には閉まっていた
たとえば、道に迷っていると今現在最も会いたくない人の経営するお店の前に抜け出てしまった
いろいろなことが折り重なって、とても狐につままれたような1日であったし、それからいつにもまして足が臭かった
朝の早い段階で雨に濡らされると、1日中足が臭いような気がしてならなくて、それを意識するときっと嗅覚も敏感になってるので、ずっと足が臭い。でも、おそらくいつも足は臭い
つまり、そういうことなので、いまこの身に劇的なことは何も無くても、
もしかしたら後から思い返して今日がターニングポイントであったと感じ入る日が来るかもしれない
そのために、これを記した
 
 
(゜レ゜) ←かわいい
尊敬してるし応援してる
負けたくないと思っている
 
 
今、他の本とも並行して茨木のり子さんの『一本の茎の上に』を読んでいて、もう少しで了するけれども、これがとてもよくて、今2012年現在にはじめて言い出したかのように持てはやされる文言が、何十年も前にすでに言う人もあったことがわかる
特に、吉野弘さんの『祝婚歌』というものがとてもよくこれに当てはまって、題名からも察せられる通り結婚についての歌なのだが、実際には吉野さんの姪へ宛てられたものらしい
すべてを引用はしないけれども、僕には
”互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい”

の部分がいっとうよかった
実はこの本は、詩集を手に取ったつもりで図書館から借りてきて、
読み始めてから随筆集であったかといささかがっかりしたのだけれど、
読んでとても面白いので、よかったと思う
お借りしたい言葉がたくさん潜んでいて、貸出を延長したいので、早くその手続きをせねばならない
 
 
この前神様を見た
神様を見たのは渋谷の並木橋交差点だった
神様は金髪の若い20歳代半ばの女性の姿をして、折りたたみ自転車に乗って信号を渡っていた
あれは間違いなく神様だったと思う
遠く離れていく神様の背中には大きく「LET IT BE」という黒字のロゴがあって、
僕はその瞬間にはついに神様と気づくことはなかったけれど、
ただひたひたと勇気があふれてくるような心持だった
夜寝て朝日を受けると、あれは神様に違いないと思うようになったので、あれは神様だった
というようなことを毎日考えながら過ごしていると、
友達がいなくても割と人生楽しいし、性格もそれなりに暗くなっていきます
僕はたぶんマインドコントロールとかかかりやすい方だと思う
 
 
暇さえあればgoogleで「未確認飛行おっぱい」と検索するような男にうちの大事な娘はやれん
と、言われたことは特に無いです
 
 
何も成してないうちにする話ではないけれど
今の倍ほど年齢を重ねたときに自分は
袋小路に入り込んでしまった人のための逃げ道とか逃げ場所を用意できるようになっていたらいいと思う
それ以外は特に何でもいい
夢とかない
今書いたことも、その頃には「そんなの用意できなくてもいいな」って思ってるかもしれない
今は思うだけ
 
# by yanofilm | 2012-03-25 02:22 | (゜レ゜)
神話の解体と晩飯の献立
 
雪が降っている
は、嘘
嘘は雪か灰
雪なら、積もっては融ける
灰なら、積もっては流れる
別にどっちでもいい
嘘は、嘘
 
 
実は僕には超能力がある
ヒトの想像しうることはたいていできるのだけれど、
その能力は自然の摂理に反するうえに、仮に能力を保持していることが日本政府や某国の諜報機関の知るところとなったら国際情勢にも影響を及ぼしかねない
最悪の場合、3度目の大戦もありえない話ではなく、世界の終末を予期することも容易である
なので僕は自ら能力を制御しながら、慎ましくひっそりと暮らしている
という設定を自分に与えて毎日過ごしていると、性格がだんだん暗くなります
 
 
希望の前に絶望があるといいなあ、と思ったりする
希望からの絶望はつらい
絶望からの希望は心強い
ジャッキー・チェンの映画観たいなあ、っていう話でした
 
 
夢が怖い
夢の内容はもう覚えていない
それは起きる前の夢じゃなくて、それは寝た後の夢
寝始めて、夢を見て
これは夢を見ているな、ってわかる
こういうのをなんて言うんだ?
明晰夢。明晰夢。明晰夢というらしい
明晰夢で、それは
思い出す
前にもこういう夢があったな、と
ここから左に行くとなんかちょっと入っていったところに恐怖
ここから右へ行くと下へ潜って潜って行って恐怖
だからここから抜け出したい、と考えている
なのに起きられない
体が抑えつけられているような感覚
上へ行く
階段を登っていく夢だった
それ以外のことはもう覚えていない
「階段を登っていく」というのも、後から考えて「そういう夢だったな」と再確認しているのであって
実際階段登っていたかは断言できない
それ以外のことはもう覚えていないけど、恐怖だけがあったことはわかる
起きたい起きたい
夜に抑えつけられている
夢が怖い
自分を引き剥がすように、この場から立ち去ろうとしている
(漫画的な想像を促すなら、幽体離脱を試みている感じ)
ややあって、夢から覚めた
目が覚めた、という感覚と違う
寝ていた気がしない
最終的には、「夢」という文字がゲシュタルト崩壊してきた(今の話)
 
 
追伸
ついこの前、女の子のおっぱいをひたすら揉みながらテレビを見る夢を見た。
見たこともない、可愛すぎない女の子。こういう夢はもっと見たいよ新島くん
 
 
人間は絶望から生まれている
必ず死ぬ、という絶望
絶望からの希望はいいなあ
 
 
この前サンプルの『女王の器』という舞台を観た
アフタートークに鉄割アルバトロスケット主宰の戌井昭人さん
サンプルの松井周さんに、鉄割の演劇の作り方について訊かれて
戌井さん「稽古しようとしてもみんな来ない。1度、稽古場行ったら俺しかいないことあった。そんなんだから、人数少なくても稽古進められるようにと思ってちょっとずつ稽古していったら、結果的にオムニバスになった」
この話がいっとう面白かった
鉄割の演劇は2度観たけど、短い話を30編くらいつなげて構成される。話ごとの繋がりはだいたいない
俳優を稽古に来させるように働きかけるんじゃなく、俳優が揃わなくても稽古できるように働きかけるのは好きだなあ
と思ったのでメモ
そういう発想の仕方
でも、そんなこと言いつつ鉄割の稽古は厳しそう。勝手なイメージ
戌井さんは昼行灯っぽい。勝手なイメージ
ちなみに、僕のweblogも最近オムニバス形式なのは、「毎日のように書く意力と内容はないけれど、たまにストレス発散的にばーっと思いつくかぎり書きたくなる」ので、こういう感じ
鉄割の演劇がそのヒントだったかもしれない、もしかして
 
 
頭の悪い人は、頭のいいフリをしてほしい
頭のいい人は、バカのフリをしてほしい
僕は頭のいいフリをする
 
 
乳首がかゆい
「圧倒的な乳首」というワードが頭をよぎって離れない
性感帯から順に解脱したい
 
 
『ヒューゴの不思議な発明』を観た。
ヒューゴが『ハロルドとモード』のハロルドに似てる、と思ったけどハロルドの写真見直してみたらそうでもなかった
今作においてついに3D童貞卒業
USJのターミネーターで観たことあるけど。あれは風俗で筆下ろしされた、みたいなもので
3Dについての雑感
・アップとナメショットだとすごく画質が下がって見えたり、目障りな感じがする
・ルーズショットだと栄える。ただし躍動感に乏しい
・頭痛くなる。10分くらいで頭痛くなった
カウリスマキの映画とか3Dで栄えるんじゃないか、と思ったけど、内容的に3Dである必要性がまったくない
ヒューゴにおける3Dは、というと、
幾つかのシーンがリュミエール兄弟の『列車の到着』へのオマージュとなっていて、
在りし日のグラン・カフェに居合わせた観客の気持ちを少しだけ味わえるので、いいかもねと思ってる
でも2Dでも楽しめるし、3D頭痛くなるから…
pinaが3Dしかないみたいだし、これは3Dで観たいので観るけれど、そしたら後は2D同時上映のときは2Dで観ればいいな、と思ってる
今まで3Dなんて「遊園地のアトラクションでしょ」程度に考えてたんだけど、今もそんな感じの気持ちのまま
 
 
そもそもたいていのことが勘違い
僕が考えているようなことは、だいたいのことが勘違いか気のせいか思い過ごし
だから気にしない
 
 
「僕らは」とか「われわれは」とか言う人に対して怒る人が、
「勝手に自分の意見を全体の意見として発信するな」というようなことを言う
まあね、などと苦笑しつつ
考えすぎじゃボケ、と鈍器で殴りたい
でも、僕が思ってもいないことを、「僕たちは」という主語で「僕たち」の言葉として語られたら、それは僕も困る
困るのだけど、「僕たちは」と書いてしまう気持ちもわかる
自分も文を書いていて、何かについて語るとき自分個人だけの問題に帰結できない場合がある
一瞬「僕らは」などと書いてみて、けどと思い直し、むにゃむにゃ悩んで
最終的に「僕は」で後を続けることが多いけれど
そうすると、あまりにも自分語りをしているような文章になってしまったりする
つまり「僕たちは」なんて言うのは、「ていうかさー」みたいなものなので
今すぐ会って君を抱きしめたい
 
 
油断してると、すぐ恋をする
プラトニックに抱きしめる
 
 
真面目なことばっかり考えている人はすごいなあ、などと思う
大変だと思う
僕はちょっとだめだ
真面目なこと考えていて、ある程度のところまで進むと「もういいやめんどくせえ」ってなる
つまり
働きたくない
 
 
「考えは人それぞれ」
って、僕もそう思うし、それはいいんだと思うけど
「考えは人それぞれ」と考えるかどうかも、人それぞれだってことを忘れがちになる
「考えは人それぞれ」を強要したら、もうなんかそれは人それぞれじゃない感じになるし
割と早い段階で「考えは人それぞれ」って言われると、けん制されてる感じで人それぞれっぽくない
「私は何かに対して否定しない」って人も、それは「否定することを否定している」っていうことを忘れがち
僕は割と何事も否定しがちだけど、別に他人が肯定したり否定することまで否定しない。その考えかその人かその言い方がよっぽど嫌いじゃなければ
「否定しない」って人も、意味的には「受容する」くらいのつもりで言っているんだろうと思う
だから、「否定しない」と言って「否定を否定している」人のことを僕は否定しない。抱きしめる
プラトニックに
つまり、何も考えなしに耳障りのいい言葉を使ってるやつを鈍器で殴りたい、という話でした
 
 
「考えは人それぞれ」
って、僕もそう思うし、それはいいんだと思うけど
その実、どうも意見を言うことをシャットアウトしているように思えなくもない
でも、僕も言う。「考えは人それぞれだし」
って。そういうとき、割とめんどうくさいとき
先に「考えは人それぞれ」と言って、言外に「君とは意見が違うけど、あんまり深く突っ込まないでね」って言ってるような気がしてしまう。
でも、いい。そんな君のことも抱きしめる。
プラトニックに
 

何かと戦わなきゃいけない、ということはない
戦う相手がいて、戦う意思があれば、そのときに戦えばいい
何か、なんていう、何だかわからないものを相手にして、
ただ義務のように戦う必要はない
戦わない、という戦いもある
その戦いさえも、したくなければしなくていい
  
 
以上
# by yanofilm | 2012-03-04 02:45 | (゜レ゜)
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